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歴史と伝統が受け継がれた名品おつまみ5選

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目次

お酒の味を引き立てるおつまみ。その背景をさかのぼると、なんと約900年前から受け継がれてきたものや、製造中止から復活したものなど歴史を持つおつまみがあります。

今回は、そんな歴史と伝統が受け継がれた名品おつまみについて、おつまみ専門店 平光商店の大野さんに教えていただきました。

▼おつまみ専門店 平光商店とは?
「ご褒美おつまみサブスクnohaco」の監修店。1918年に手焼き煎餅の店として創業。戦後、岐阜市柳ヶ瀬商店街を中心とした花柳界に高級米菓を卸し始めた事をきっかけに、現在のおつまみ専門店へと繋がりました。その名残からあられや海苔巻き、おせんべいといった伝統的な米菓から進化系おつまみまで数多く扱っています。
▶ 平光商店の目利きについて詳しく知る

鎌倉時代にお寺で生まれた「永平寺寒干大根たまり漬」

「永平寺寒干大根たまり漬」は、700年以上の歴史を持つ福井県の永平寺で生まれ、たまり醤油独特の奥深い甘辛さと、カリッとした歯応えが特徴です。

「永平寺寒干大根たまり漬」のはじまり

鎌倉時代、厳しい冬の間の保存食として、永平寺の雲水(修行僧)たちの修行の一環で漬物がつくられたのがはじまりとされています。永平寺寒干大根は、大根を縦に細長く切って干した「割り干し大根」を、甘辛いたまり醤油で漬け込んでつくられています。永平寺には、たくあん漬けを大量に製造・保存するため、「香菜蔵(きょうさいぐら)」と呼ばれる専用の建物があるほどです。

永平寺

現在でも、大量につくられており、修行僧の食事用だけでなく宿泊客にも振る舞われているそうです。永平寺寒干大根たまり漬の商品化に至っては永平寺から許可を得られたメーカーのみが携わっており、その製法と味を守り続けています。

厳しい冬を乗り越えるために代々の修行僧たちによってつくられた、歴史と風格あふれる一品です。

12世紀から愛される「南仏アジャンのプルーン」

プルーンの名産地としても知られる、フランス南西部のアジャン地域で12世紀からつくられてきた希少な「南仏アジャンのプルーン」。別名「王のプルーン」とも呼ばれ、アジャン地域の人々が代々伝統を守り続けています。

「南仏アジャンのプルーン」のはじまり

アジャンにある修道僧が自給自足のためにスモモを何種類もの接ぎ木で交配したのが起源とされています。砂糖不使用で食物繊維やポリフェノールなどの栄養価も非常に高く、自然な甘みが楽しめるプルーンです。

フランス政府は、品種を守るため、「アジャンのプルーン」と正式に呼称できるのは厳しく制限されたごく一部の産地に限定しています。

文豪トルストイが美味しさを絶賛

文豪トルストイは南仏アジャンのプルーンについて、

「独特の旨味がある黒くてシワシワのアジャン産のプルーン。例え口の中に種しか残っていないような時でさえも、旨くてよだれが出てしまう」と小説に残しています。(La Mortd’Ivan Ilitch 第10章より)

当時から南仏アジャンのプルーンの味わいは感動的なものであったと想像できます。

江戸時代からの伝統おつまみ「鮭の酒びたし」

「鮭の酒びたし」は、新潟県村上市を流れる三面川の鮭文化を象徴する伝統的なおつまみで、酒に浸して食べることから、鮭の酒びたしという名がついています。

「鮭の酒びたし」のはじまり

新潟県村上市の鮭の歴史は長く、平安時代には貴族階級への献上品として記録が残っています。さらに江戸時代には、世界初の鮭の増殖事業を成功させるなど、古くから鮭の町として知られています。

古来より米の不作や財源不足を鮭により救われてきた村上の人々は、鮭をとても大切にしてきました。そんな村上の人々が作り出した極上のおつまみが「鮭の酒びたし」です。

真冬から初夏にかけて、半年間の変わりゆく季節風に鮭をさらしながらじっくり乾燥させることで、鮭の味わいを凝縮。日本酒に数分浸すと、酒の風味が鮭の旨味をさらに引き出し、発酵の力を感じる奥深い味に変化します。また、浸したお酒の方にも鮭の旨味エキスが溶け出し、旨味も香りも、お酒の甘みも引き立ちます。

「鮭の酒びたし」は、鮭と共に生きてきた村上の人々が作り出した伝統的なおつまみです。

戦争の時代を生き抜いた「飛出豆」

戦争の悲運をかいくぐり復活した、素朴ながらも滋味あふれるおつまみ「飛出豆」。えんどう豆に塩水を吹きかけて煎る「汐豆」をつくる過程で、外殻から飛び出してきた豆の核で美味しいところだけを集めた高級豆珍味です。小説家の遠藤周作の好物だったという逸話もあります。

飛出豆のはじまり

昭和の初め頃に愛知県江南市の豆加工職人が汐豆の副産物としてなべ底に残ったものを拾い集め、珍味商に持ち込んだ事が飛出豆の始まりでした。大量生産ができず、希少性もあるため破格の高値で取引され、当時、銀座のバーでこれを出す店は一流店と言われていました。

第二次世界大戦での製造中止からの復活

しかし、昭和12年の日中戦争と第二次世界大戦の最中、「奢侈品販売製造禁止令」という法律が公布され、製造中止に。何しろ豆の中心だけを使うため、奢侈品(ぜいたく品)極まりないということだったのです。

ただ飛出豆を愛する人の情熱は戦争には負けませんでした。終戦後、一部の酒場好きマニアの強い要望により復活したのです。

飛出豆は、戦争という激動の時代を生き抜いた奇跡のおつまみなのです。

お肉屋さん発祥!「ぶち旨ホルモン せんじがら」

お肉屋さんの廃棄物から生れた広島名物「ぶち旨ホルモン せんじがら」。豚の胃袋(ガツ)を一口サイズにして、独特の弾力と食べ応えを実現したおつまみです。

「ぶち旨ホルモン せんじがら」のはじまり

昭和20年頃、広島市福島町界隈には食肉業者が集中しており、当時まだ用途が無かった内臓が大量に破棄されていました。それを「なんとか商品化できないか」と町の大衆食堂の創業者が試行錯誤の末に生み出したと言われています。

内臓系焼肉ブームの到来で全国でも人気沸騰

平成に入り、内臓系焼肉ブームの到来でホルモンなどに抵抗を示す人が減り、テレビで取り上げられたり、芸能人がおすすめするなどして、現在では広島のソウルフードと言われるまでになっています。また、美味しさに加え、汁気が無く日持ちし、テイクアウトにも適している点が売店側や消費者側にも支持されています。

ホルモンの硬さとビジュアルに苦手意識のある方も多いですが、20秒程頑張って噛んでみると、じわじわと凝縮された肉の旨味を堪能することができます。

「ぶち旨ホルモン せんじがら」の名前の由来

「せんじがら」の由来は、「煎じる様に低温の油で”がら”を揚げる」から名付けられたとされています。「がら」はゴミや屑を意味する言葉で聞こえが悪いため、現在は「せんじ肉」や「せんじ揚げ」などとも呼ばれています。

そして「ぶち旨」の“ぶち”は、広島弁で「とても」という意味で、他に類を見ないほど長く続くホルモンの旨味の溢れ方が「ぶち旨い」ということからきています。

お肉屋さんの廃棄物から発明された「ぶち旨ホルモン せんじがら」は、今や広島県民だけでなく全国でもファンが多いおつまみとなっています。

約350種類の中からおつまみをお届け

以上、歴史と伝統が受け継がれた名品おつまみについてご紹介しました。

何気なく口にするおつまみも歴史を知ると奥が深く、また違った見方でおつまみを味わうことができますね。

今回ご紹介したおつまみは、「ご褒美おつまみ定期便  nohaco」で提供する350種類以上のおつまみから選定しました。

「自分に合うおつまみが知りたい!」という人は、nohacoの無料おつまみ診断でチェックしてみてください。

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